Saturday, May 13, 2006
もうひとつのレポート(?)
Attac関西グループ会員の寺本さんのレポートがattac-WSF2006ブログで読めます。
WSF2006 Karachiレポート no.1
WSF2006 Karachi レポート no.2
WSF2006 Karachi レポート no.3
WSF2006 Karachi レポート no.4
WSF2006 Karachi レポート no.5
他にもカラチWSFのレポートがありましたらリンクさせていただきたいのでお知らせください。
WSF2006 Karachiレポート no.1
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WSF2006 Karachi レポート no.4
WSF2006 Karachi レポート no.5
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Tuesday, March 28, 2006
さまざまな参加者たち
閉会式を残すのみになった世界社会フォーラム(カラチ)は昨年末の地震に代表される数々の問題を抱えている状況を考えれば、驚くほどの盛り上がりを見せている。入り口でこそテロを警戒した厳しい警備が続くが、原理主義勢力との距離を取ろうとしているムシャラフ政権が社会フォーラムへのバックアップを約束していることもあり、会場やその周辺の雰囲気は整然としている。インドほどはメディアが発達していないこともあって、市民への認知度は今ひとつという印象も受けるが、この集まりについて知っている市民の反応は極めて良好である。警備の警官たちもパキスタン人のご多分に漏れず極めて友好的で、記念写真を求められることも多い。どこの国でも警官というのは写真に撮られることを嫌うものだ、という常識に縛られていると驚くことになる。
穏やかな雰囲気は、この国が現在も軍事政権体制を維持する国家であることを忘れさせかねないが、笑顔の警官のすぐそばで、国軍に息子を連れ去られて今も行方不明という家族が講義活動を展開している様子にはいささかの困惑を感じさせずにはおかない。ムシャラフ政権がこのイベントを単なる政治的「ガス抜き」以上のものにならないと予想していると言うことかも知れないが、国内の政治弾圧に対する抗議のアピールも、各種の政治・民族団体によって行われているにも関わらず、会場の雰囲気は驚くほど穏やかである。
また、パキスタン政府と協力して大規模な開発を進める中国に対してのけん制のために、漁業組合などにアメリカが支援を行うという一種のねじれ現象があり、そのことが市民の活発な講義活動につながっているという噂もあり、事態は複雑である。
考えてみれば、「パキスタン」で社会フォーラムを行うということは、スリランカの内戦と津波、パキスタンの地震、イラクとアフガンの戦争、インドの宗教対立、パレスティナ問題、印パおよびイランの核開発問題など、ここ何年かで起こった世界的問題のうち、かなりの割合を取り扱うと言うことである。南アジアから中東にかけては、「テロとの戦争」と名付けられた、米ブッシュ政権が莫大な予算を投じる国際戦略の中心地であり、同時にテロ以上の脅威である自然災害に対して、貧困国はあまりに弱く、また国際的な支援体制も整っていないことが露呈した地域でもある。
今回のフォーラムの一つの収穫は、津波や地震に対して、現地のNGOが取った極めて多様な戦略についての報告を聞き、多くの出版された資料を入手することが出来たことである。例えば、いくつかのNGOの連合体による出版物、特に災害時のメディアのあり方を論じた"Disaster Communication: A Resource Toolkit for Media"(Amjad Bhatti他 A Duryog Nivaran Publication 2002)や、復興に際するジェンダーの問題を特に論じた"Gender Dimensions in Disaster Management"(Madhavi Malalgoda Ariyabandu他 ITDG South Asia Publication 2003)といったスリランカの出版物は、日本でも学べるところの多い成果であると思われる。また、被災地で活動するNGOからの率直な見解として、欧州や中東諸国に比べて、パキスタン地震に対する日本を含めた東アジアの支援は、あまり目立ったものではなかったという声も聞くことが出来た。
参加者の中には、辺境部からの参加者も多く、その多くは自分たちの人権が守られていないことを訴え、憲法上の権利か独立が必要だと訴える。アクション・エイドの支援で活動している地元NGOのメンバーだというバルチスタンの青年は、やはりアクション・エイドからの要請でこのフォーラムに参加したという。彼は、国際社会が自分たちのことをテロリストの集まりであるかのように言うが、実際は「悲しいほど後進的」な地域であり、貧困に加えてパキスタン政府軍による弾圧もあり、非常に厳しい状態におかれている善良な人々が住む地域であることを訴えた。真実を見るためにフォーラム後にバルチスタンに招待したいという申し出も受けたが、これは日程の都合で達成できそうにはない。しかし、いつか再びパキスタンを訪れる機会があれば、その時は是非、彼らの活動する地域をこの目で見てみたいと思う。
また逆に、パキスタンの先進地域で富裕な穀倉地帯でもあるパンジャブ州でも、奴隷労働が深刻な問題になっていることも随所でレポートされている。フォーラムに参加するNGOには、これらの奴隷労働を余儀なくされた人々が逃げ込むためのシェルターを運営している団体も含まれる。
こうした、自助努力のためのNGOが増えており、先進国のNGOは直接的な活動ではなく後方支援に回ることが多くなってきているのは近年の傾向である。ネパールからの参加者も、自信が低カーストに分類される楽士カーストの出身者で、被差別階層の集まりである世界尊厳フォーラムの会合に参加するために参加している活動家は、一族の子どもたちの教育のために、日欧の音楽家と制作したCDを販売している。この活動家は、陸路をインド経由で4日かけてカラチに到着したという。国際経験が豊かな音楽家でもある彼は、インドでは娯楽産業大国である音楽が商業的にも成功することで楽士の社会的な地位も上がり、また教育にお金を費やせることによってその階層の教育レベルもあがっていくが、そういった産業に乏しいネパールでは、低カーストである楽士カーストが困難な状況を抜け出ることが難しい、と述べた。実はこういった見解は、グローバリゼーションによって成功した階層もあるということを述べているとも解釈できるわけで、社会フォーラムの理念からはいささか逆行していると見なせなくもないが、そういった多様性を許容するのが社会フォーラムの良さである。
インドとパキスタンの関係は、雪解けムードと言われながらも現在も緊張をはらんだものである。今回も、多くの参加者にヴィザが発行されず、それが原因でキャンセルされた会議も多かった。しかし、過去数十年考えられなかった数のヴィザが発行されたこともまた事実である。
以前からの知り合いであるイスラム系のインド人に出会った。有名なNGOのメンバーでもある彼は、初めてヴィザが発行されたこの機会を利用してパキスタンの親族を訪ねることを楽しみにしていた。インド・パキスタンの分離独立に際して、多くのイスラム教徒がパキスタンにわたり、パキスタンのヒンドゥ教徒はインドにわたった。その大規模な移住のプロセスでの混乱は、数多くの犠牲者を生んだことはよく知られている。その分断がまだ続いているという事実は見過ごされがちであるが、社会フォーラムの開催が両国とその国民の間に横たわる亀裂を多少は埋めることになったことには、一つの意義を見いだして良いかもしれない。
カラチでは、バマコ(マリ)やカラカス(ベネズエラ)での世界社会フォーラムと異なり、歴史の転換点に居合わせた、という感動は得られない一方、南アジア地域に根付いた社会運動の成長を実感できるものとなったと言えよう。一方で、日本という国家に対する高い期待とその不在への失望を率直に口にするパキスタンの人々から、冷戦構造を残す東アジアでの下からの連帯運動をどう進めていけば彼らに答えられるのか、という非常に大きな宿題を受け取ることにもなった。
穏やかな雰囲気は、この国が現在も軍事政権体制を維持する国家であることを忘れさせかねないが、笑顔の警官のすぐそばで、国軍に息子を連れ去られて今も行方不明という家族が講義活動を展開している様子にはいささかの困惑を感じさせずにはおかない。ムシャラフ政権がこのイベントを単なる政治的「ガス抜き」以上のものにならないと予想していると言うことかも知れないが、国内の政治弾圧に対する抗議のアピールも、各種の政治・民族団体によって行われているにも関わらず、会場の雰囲気は驚くほど穏やかである。
また、パキスタン政府と協力して大規模な開発を進める中国に対してのけん制のために、漁業組合などにアメリカが支援を行うという一種のねじれ現象があり、そのことが市民の活発な講義活動につながっているという噂もあり、事態は複雑である。
考えてみれば、「パキスタン」で社会フォーラムを行うということは、スリランカの内戦と津波、パキスタンの地震、イラクとアフガンの戦争、インドの宗教対立、パレスティナ問題、印パおよびイランの核開発問題など、ここ何年かで起こった世界的問題のうち、かなりの割合を取り扱うと言うことである。南アジアから中東にかけては、「テロとの戦争」と名付けられた、米ブッシュ政権が莫大な予算を投じる国際戦略の中心地であり、同時にテロ以上の脅威である自然災害に対して、貧困国はあまりに弱く、また国際的な支援体制も整っていないことが露呈した地域でもある。
今回のフォーラムの一つの収穫は、津波や地震に対して、現地のNGOが取った極めて多様な戦略についての報告を聞き、多くの出版された資料を入手することが出来たことである。例えば、いくつかのNGOの連合体による出版物、特に災害時のメディアのあり方を論じた"Disaster Communication: A Resource Toolkit for Media"(Amjad Bhatti他 A Duryog Nivaran Publication 2002)や、復興に際するジェンダーの問題を特に論じた"Gender Dimensions in Disaster Management"(Madhavi Malalgoda Ariyabandu他 ITDG South Asia Publication 2003)といったスリランカの出版物は、日本でも学べるところの多い成果であると思われる。また、被災地で活動するNGOからの率直な見解として、欧州や中東諸国に比べて、パキスタン地震に対する日本を含めた東アジアの支援は、あまり目立ったものではなかったという声も聞くことが出来た。
参加者の中には、辺境部からの参加者も多く、その多くは自分たちの人権が守られていないことを訴え、憲法上の権利か独立が必要だと訴える。アクション・エイドの支援で活動している地元NGOのメンバーだというバルチスタンの青年は、やはりアクション・エイドからの要請でこのフォーラムに参加したという。彼は、国際社会が自分たちのことをテロリストの集まりであるかのように言うが、実際は「悲しいほど後進的」な地域であり、貧困に加えてパキスタン政府軍による弾圧もあり、非常に厳しい状態におかれている善良な人々が住む地域であることを訴えた。真実を見るためにフォーラム後にバルチスタンに招待したいという申し出も受けたが、これは日程の都合で達成できそうにはない。しかし、いつか再びパキスタンを訪れる機会があれば、その時は是非、彼らの活動する地域をこの目で見てみたいと思う。
また逆に、パキスタンの先進地域で富裕な穀倉地帯でもあるパンジャブ州でも、奴隷労働が深刻な問題になっていることも随所でレポートされている。フォーラムに参加するNGOには、これらの奴隷労働を余儀なくされた人々が逃げ込むためのシェルターを運営している団体も含まれる。
こうした、自助努力のためのNGOが増えており、先進国のNGOは直接的な活動ではなく後方支援に回ることが多くなってきているのは近年の傾向である。ネパールからの参加者も、自信が低カーストに分類される楽士カーストの出身者で、被差別階層の集まりである世界尊厳フォーラムの会合に参加するために参加している活動家は、一族の子どもたちの教育のために、日欧の音楽家と制作したCDを販売している。この活動家は、陸路をインド経由で4日かけてカラチに到着したという。国際経験が豊かな音楽家でもある彼は、インドでは娯楽産業大国である音楽が商業的にも成功することで楽士の社会的な地位も上がり、また教育にお金を費やせることによってその階層の教育レベルもあがっていくが、そういった産業に乏しいネパールでは、低カーストである楽士カーストが困難な状況を抜け出ることが難しい、と述べた。実はこういった見解は、グローバリゼーションによって成功した階層もあるということを述べているとも解釈できるわけで、社会フォーラムの理念からはいささか逆行していると見なせなくもないが、そういった多様性を許容するのが社会フォーラムの良さである。
インドとパキスタンの関係は、雪解けムードと言われながらも現在も緊張をはらんだものである。今回も、多くの参加者にヴィザが発行されず、それが原因でキャンセルされた会議も多かった。しかし、過去数十年考えられなかった数のヴィザが発行されたこともまた事実である。
以前からの知り合いであるイスラム系のインド人に出会った。有名なNGOのメンバーでもある彼は、初めてヴィザが発行されたこの機会を利用してパキスタンの親族を訪ねることを楽しみにしていた。インド・パキスタンの分離独立に際して、多くのイスラム教徒がパキスタンにわたり、パキスタンのヒンドゥ教徒はインドにわたった。その大規模な移住のプロセスでの混乱は、数多くの犠牲者を生んだことはよく知られている。その分断がまだ続いているという事実は見過ごされがちであるが、社会フォーラムの開催が両国とその国民の間に横たわる亀裂を多少は埋めることになったことには、一つの意義を見いだして良いかもしれない。
カラチでは、バマコ(マリ)やカラカス(ベネズエラ)での世界社会フォーラムと異なり、歴史の転換点に居合わせた、という感動は得られない一方、南アジア地域に根付いた社会運動の成長を実感できるものとなったと言えよう。一方で、日本という国家に対する高い期待とその不在への失望を率直に口にするパキスタンの人々から、冷戦構造を残す東アジアでの下からの連帯運動をどう進めていけば彼らに答えられるのか、という非常に大きな宿題を受け取ることにもなった。
Monday, March 27, 2006
GCAP報告集会報告
28日14時から、世界社会フォーラム2006カラチ会場で、GCAP(Global Call Against Poverty)の報告会が開かれた。GCAPでは各地の地元NGOなどがアライアンスを組んで国連のミレニアム開発目標(MDGs)を達成するために活動している。今回は、劇的な経済発展の一方、多くの貧困層を抱えている南アジア地域各国と、開発に対する大きな困難を抱えたアフガニスタンから報告者が、ホワイトバンドをつけて登壇した。出入りが多かったので実数は定かではないが、参加者は常時30人程度、のべ60人ぐらいであると思われ、決して多数ではないが、質疑は活発に行われた。
報告は、昨年世界中で行われたキャンペーンの概要を説明するとともに、各国アライアンスの体制についてや、その中でのMDGsに関連した試みが行われた。例えばインドなどでは、開発NGOだけではなく、労組や研究期間を含む極めて多様な団体による連合体制が組まれている一方で、MDGsがジェンダーやリプロダクティヴ・ヘルスの視点に弱いという批判から、多くの女性団体が参加を保留しているという(実際、連合の代表として登壇した人々もほぼ全員がその国の中高年男性であることに違和感を感じなくはない)。また、これまで数多くの貧困撲滅に関する国際的な宣言が行われたが、殆どがかけ声のみに終わったのに対して、MDGsとGCAPは、各地で十分とは言えないまでも着実な進展を見せているという事実が強調された。
また、会場からは、MDGsが具体性を欠くので、もっと個別で具体的な目標を各自で設定していく必要があるという指摘や、そもそもMDGsが先進国が勝手に決めたものではないのかという疑念などが呈された。後者に関しては、講演者から、MDGsは中間目標にすぎず、GCAPは「MDGsプラス」を目指すものであるという応答があった。また、閉会後も会場には各国からの代表が残り、それぞれの状況について活発な情報交換を行っている姿が見られた。
報告は、昨年世界中で行われたキャンペーンの概要を説明するとともに、各国アライアンスの体制についてや、その中でのMDGsに関連した試みが行われた。例えばインドなどでは、開発NGOだけではなく、労組や研究期間を含む極めて多様な団体による連合体制が組まれている一方で、MDGsがジェンダーやリプロダクティヴ・ヘルスの視点に弱いという批判から、多くの女性団体が参加を保留しているという(実際、連合の代表として登壇した人々もほぼ全員がその国の中高年男性であることに違和感を感じなくはない)。また、これまで数多くの貧困撲滅に関する国際的な宣言が行われたが、殆どがかけ声のみに終わったのに対して、MDGsとGCAPは、各地で十分とは言えないまでも着実な進展を見せているという事実が強調された。
また、会場からは、MDGsが具体性を欠くので、もっと個別で具体的な目標を各自で設定していく必要があるという指摘や、そもそもMDGsが先進国が勝手に決めたものではないのかという疑念などが呈された。後者に関しては、講演者から、MDGsは中間目標にすぎず、GCAPは「MDGsプラス」を目指すものであるという応答があった。また、閉会後も会場には各国からの代表が残り、それぞれの状況について活発な情報交換を行っている姿が見られた。
日本の反戦運動に対する関心
WSF 3日目の26日は、Action Aid Pakistan主催のYouth and Politics: The Role of Students Movement という企画に参加した。パキスタン、インド、ネパール、バングラデシュなどからの参加者がほとんどで、南アジア以外からの参加者は日本人のぼくとヨーロッパから来た若者の2人だけだった。南アジアの言語で話す人が非常に多く、前半はあまり理解できなかったのだが、ヨーロッパの青年が英語で発言した後は、英語での発言が多くなった。
前半部分は、各国からの参加者が自国での学生による運動の紹介や問題点の指摘などをしていたようなのだが、途中から(誰かの発言を境にだと思うのだが)、イラク反戦運動の話になり、フランスの青年が持っていた写真集がきっかけでぼくも発言することになってしまった。その写真集は世界中の各都市でのデモの様子を見開きに集めたものなのだが、その中に日本の都市が入っていなかったらしく(実際には東京は含まれている気がするのだが)、「なぜ日本では反戦運動が起きないのか?」といった質問をされた。
今回のWSFに一緒に参加している小倉利丸さんからもらった、3・18WORLD PEACE NOW(WPN) の写真付きの英語の呼びかけ文を持っていたので、スライドに写して、日本でもイラク反戦運動が起こっていることを説明した。各国の都市に比べれば小規模だが、日本の反戦デモの中では特に開戦前後はかなり盛り上がったのだ、ということを簡単に話した。
日本がイラクに自衛隊を派遣しているということが多くの国で知られている一方で、日本の反戦運動については海外(日本でも)で報道されることはほとんどないようなので、WPNについて簡単にではあるが紹介できたことは良かったと思う。(そんぴゅん)
前半部分は、各国からの参加者が自国での学生による運動の紹介や問題点の指摘などをしていたようなのだが、途中から(誰かの発言を境にだと思うのだが)、イラク反戦運動の話になり、フランスの青年が持っていた写真集がきっかけでぼくも発言することになってしまった。その写真集は世界中の各都市でのデモの様子を見開きに集めたものなのだが、その中に日本の都市が入っていなかったらしく(実際には東京は含まれている気がするのだが)、「なぜ日本では反戦運動が起きないのか?」といった質問をされた。
今回のWSFに一緒に参加している小倉利丸さんからもらった、3・18WORLD PEACE NOW(WPN) の写真付きの英語の呼びかけ文を持っていたので、スライドに写して、日本でもイラク反戦運動が起こっていることを説明した。各国の都市に比べれば小規模だが、日本の反戦デモの中では特に開戦前後はかなり盛り上がったのだ、ということを簡単に話した。
日本がイラクに自衛隊を派遣しているということが多くの国で知られている一方で、日本の反戦運動については海外(日本でも)で報道されることはほとんどないようなので、WPNについて簡単にではあるが紹介できたことは良かったと思う。(そんぴゅん)
Friday, March 24, 2006
開会式
24日19時半ごろ、予定より(しかし、予想通り)大幅に遅れて開会式が始まる。
それまでにも、登録のところで外国人はこっちだとか、個人登録はこっちだとか、さんざん並び直させられて、南アジア的な手際の悪さを実感。
しかも、結局フォーラムを通してのプログラムはまだ出来ていないという。
それでも地震も乗り越え、開催にこぎ着けるあたりはさすがと言えよう。
被災地域で活動するNGOの関心も高く、今回は準備が出来なかったためにワークショップを持つことは出来なかったが、兎に角参加するためにカラチまで来た、というグループもあった。
今回は、大会を通して4万人程度の参加を見込んでいると言うが、開会式はおそらく1万人強収容のスタジアムが満席になっていたので、まずまずの出だしであると言えよう。
講演者には社会フォーラムではおなじみのタリク・アリや、ブラジル、パキスタンの組織委員会のメンバーたちなどが並んだ。
講演の合間にはパキスタンの伝統芸能(たぶん、歌詞などは社会フォーラムのためにアレンジされたりしているのだが、言葉がわからないため詳細は不明)が披露されていた。
音楽が盛り上がるたびに会場も盛り上がり、どさくさに紛れて各団体のスローガンなども叫ばれる。
基本的にはお祭り気分のイベントである。
各参加者の発言などは(座っていた位置とスピーカーの関係が悪く十分に聞き取れなかったこともあり)、追ってレポートします。
Thursday, March 23, 2006
開会式講演者発表
公式サイトで開会式(opening plenary session)の場所(City Sports Complex, Kashmir Road)と講演者が発表になっています。
講演者はつぎのような感じのようです。パキスタンからは社会フォーラムにずっと取り組んでいる作家のタリク・アリ。南アフリカの黒人牧師で、アパルトヘイト問題に関わる運動の功績でノーベル平和賞を受賞したデズモント・ツツ。第三世界問題の第一人者となってきたフォーカス・オン・グローバルサウス代表ウォールデン・ベロー。英労働党議員で反戦活動家のジェレミー・コービン。インド系の批評家として活躍するアイジャズ・アーメッド。
講演者はつぎのような感じのようです。パキスタンからは社会フォーラムにずっと取り組んでいる作家のタリク・アリ。南アフリカの黒人牧師で、アパルトヘイト問題に関わる運動の功績でノーベル平和賞を受賞したデズモント・ツツ。第三世界問題の第一人者となってきたフォーカス・オン・グローバルサウス代表ウォールデン・ベロー。英労働党議員で反戦活動家のジェレミー・コービン。インド系の批評家として活躍するアイジャズ・アーメッド。
カラチに到着しました
無事、マレーシア航空のエアバス320でカラチ空港に到着。ほぼ定刻通り。
入官では、たいして飛行機も着いていないのにけっこうな時間を取られる。
そもそも、外国人用の窓口が(「外交官用」と書かれたものを入れても)二つしかなく、観光という部分ではインドに大きく水をあけられていることを感じさせる。
いきなりの問題は、ホテルに頼んであった迎えが見つからないこと。
しかたがないので、エアポート・タクシーで市内に向かう。
無事、一番の繁華街であるサダールのホテルまでたどり着いて350ルピーほど。
ちょっと高めかも知れないが、まぁ、こんなものである。
空港から市内まで道がガタガタだの盗賊団が出るだの脅されてきたが、道はかなりよく整備されており、車通りも多い市街地が続いているため、盗賊も出そうにない。
市内も、少なくともアフリカや南米でよく見られるような、緊迫した雰囲気は感じられない。
パキスタンは、いろいろと前評判で損をしている国であるような気がする。
ホテル到着後、送迎が無かったことに文句を言うと、ホテルの親父は無愛想な表情ながら謝罪を述べ、ホテル代のワンランク・ディスカウントを約束した(南アジアで謝罪の言葉を聞くことは決して多くない。ちょっと許す気になる)。
社会フォーラムに来たことなどを話すと、ホテルにも各国からの参加者が滞在していることを教えてくれる。
バラバラに行くよりも、朝、タクシーをアレンジしてまとめていく方向を提案するなど、わりと協力的。
その後、街をすこし歩いて、ホテルのレストランで夕食を取って初日は終了。
明日はどうも開会式は夕方からで、とりあえずお決まりのデモなどはないらしい(ただ、どこで参加登録をするのかなど、詳細不明なところが困ったものである)。
大会の規模はいまのところ不明だが、会場図などを見ると、かなりの数の動員を見込んでいるようである。
ムンバイの時はオープニングが印パ両国でミリオン・ヒットを飛ばす超人気ロックバンド(社会派としても知られる)であるJunoonのライブが聴けたが、明日も彼らの登場があるんじゃないかなど、いまから色々と楽しみである。
Saturday, March 11, 2006
ただいま準備中です
WSF Venue
Originally uploaded by KASUGA, Sho.
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