Tuesday, March 28, 2006

 

さまざまな参加者たち

 閉会式を残すのみになった世界社会フォーラム(カラチ)は昨年末の地震に代表される数々の問題を抱えている状況を考えれば、驚くほどの盛り上がりを見せている。入り口でこそテロを警戒した厳しい警備が続くが、原理主義勢力との距離を取ろうとしているムシャラフ政権が社会フォーラムへのバックアップを約束していることもあり、会場やその周辺の雰囲気は整然としている。インドほどはメディアが発達していないこともあって、市民への認知度は今ひとつという印象も受けるが、この集まりについて知っている市民の反応は極めて良好である。警備の警官たちもパキスタン人のご多分に漏れず極めて友好的で、記念写真を求められることも多い。どこの国でも警官というのは写真に撮られることを嫌うものだ、という常識に縛られていると驚くことになる。
 穏やかな雰囲気は、この国が現在も軍事政権体制を維持する国家であることを忘れさせかねないが、笑顔の警官のすぐそばで、国軍に息子を連れ去られて今も行方不明という家族が講義活動を展開している様子にはいささかの困惑を感じさせずにはおかない。ムシャラフ政権がこのイベントを単なる政治的「ガス抜き」以上のものにならないと予想していると言うことかも知れないが、国内の政治弾圧に対する抗議のアピールも、各種の政治・民族団体によって行われているにも関わらず、会場の雰囲気は驚くほど穏やかである。
 また、パキスタン政府と協力して大規模な開発を進める中国に対してのけん制のために、漁業組合などにアメリカが支援を行うという一種のねじれ現象があり、そのことが市民の活発な講義活動につながっているという噂もあり、事態は複雑である。

 考えてみれば、「パキスタン」で社会フォーラムを行うということは、スリランカの内戦と津波、パキスタンの地震、イラクとアフガンの戦争、インドの宗教対立、パレスティナ問題、印パおよびイランの核開発問題など、ここ何年かで起こった世界的問題のうち、かなりの割合を取り扱うと言うことである。南アジアから中東にかけては、「テロとの戦争」と名付けられた、米ブッシュ政権が莫大な予算を投じる国際戦略の中心地であり、同時にテロ以上の脅威である自然災害に対して、貧困国はあまりに弱く、また国際的な支援体制も整っていないことが露呈した地域でもある。

 今回のフォーラムの一つの収穫は、津波や地震に対して、現地のNGOが取った極めて多様な戦略についての報告を聞き、多くの出版された資料を入手することが出来たことである。例えば、いくつかのNGOの連合体による出版物、特に災害時のメディアのあり方を論じた"Disaster Communication: A Resource Toolkit for Media"(Amjad Bhatti他 A Duryog Nivaran Publication 2002)や、復興に際するジェンダーの問題を特に論じた"Gender Dimensions in Disaster Management"(Madhavi Malalgoda Ariyabandu他 ITDG South Asia Publication 2003)といったスリランカの出版物は、日本でも学べるところの多い成果であると思われる。また、被災地で活動するNGOからの率直な見解として、欧州や中東諸国に比べて、パキスタン地震に対する日本を含めた東アジアの支援は、あまり目立ったものではなかったという声も聞くことが出来た。

 参加者の中には、辺境部からの参加者も多く、その多くは自分たちの人権が守られていないことを訴え、憲法上の権利か独立が必要だと訴える。アクション・エイドの支援で活動している地元NGOのメンバーだというバルチスタンの青年は、やはりアクション・エイドからの要請でこのフォーラムに参加したという。彼は、国際社会が自分たちのことをテロリストの集まりであるかのように言うが、実際は「悲しいほど後進的」な地域であり、貧困に加えてパキスタン政府軍による弾圧もあり、非常に厳しい状態におかれている善良な人々が住む地域であることを訴えた。真実を見るためにフォーラム後にバルチスタンに招待したいという申し出も受けたが、これは日程の都合で達成できそうにはない。しかし、いつか再びパキスタンを訪れる機会があれば、その時は是非、彼らの活動する地域をこの目で見てみたいと思う。
 また逆に、パキスタンの先進地域で富裕な穀倉地帯でもあるパンジャブ州でも、奴隷労働が深刻な問題になっていることも随所でレポートされている。フォーラムに参加するNGOには、これらの奴隷労働を余儀なくされた人々が逃げ込むためのシェルターを運営している団体も含まれる。

 こうした、自助努力のためのNGOが増えており、先進国のNGOは直接的な活動ではなく後方支援に回ることが多くなってきているのは近年の傾向である。ネパールからの参加者も、自信が低カーストに分類される楽士カーストの出身者で、被差別階層の集まりである世界尊厳フォーラムの会合に参加するために参加している活動家は、一族の子どもたちの教育のために、日欧の音楽家と制作したCDを販売している。この活動家は、陸路をインド経由で4日かけてカラチに到着したという。国際経験が豊かな音楽家でもある彼は、インドでは娯楽産業大国である音楽が商業的にも成功することで楽士の社会的な地位も上がり、また教育にお金を費やせることによってその階層の教育レベルもあがっていくが、そういった産業に乏しいネパールでは、低カーストである楽士カーストが困難な状況を抜け出ることが難しい、と述べた。実はこういった見解は、グローバリゼーションによって成功した階層もあるということを述べているとも解釈できるわけで、社会フォーラムの理念からはいささか逆行していると見なせなくもないが、そういった多様性を許容するのが社会フォーラムの良さである。

 インドとパキスタンの関係は、雪解けムードと言われながらも現在も緊張をはらんだものである。今回も、多くの参加者にヴィザが発行されず、それが原因でキャンセルされた会議も多かった。しかし、過去数十年考えられなかった数のヴィザが発行されたこともまた事実である。
 以前からの知り合いであるイスラム系のインド人に出会った。有名なNGOのメンバーでもある彼は、初めてヴィザが発行されたこの機会を利用してパキスタンの親族を訪ねることを楽しみにしていた。インド・パキスタンの分離独立に際して、多くのイスラム教徒がパキスタンにわたり、パキスタンのヒンドゥ教徒はインドにわたった。その大規模な移住のプロセスでの混乱は、数多くの犠牲者を生んだことはよく知られている。その分断がまだ続いているという事実は見過ごされがちであるが、社会フォーラムの開催が両国とその国民の間に横たわる亀裂を多少は埋めることになったことには、一つの意義を見いだして良いかもしれない。

 カラチでは、バマコ(マリ)やカラカス(ベネズエラ)での世界社会フォーラムと異なり、歴史の転換点に居合わせた、という感動は得られない一方、南アジア地域に根付いた社会運動の成長を実感できるものとなったと言えよう。一方で、日本という国家に対する高い期待とその不在への失望を率直に口にするパキスタンの人々から、冷戦構造を残す東アジアでの下からの連帯運動をどう進めていけば彼らに答えられるのか、という非常に大きな宿題を受け取ることにもなった。

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